揺れてからこっち、わが身に何があったかをまとめてみました。
まずは3/11〜3/14まで。
○3/11
15時ちょっと前、エレベーターに載ったところで地震。地震ランプが点灯し、一階まで降りたところで緊急停止。無事に降りれたからよかったものの、下手すると閉じ込められていたかもしれない。
買い物しに降りたのに、目的の店は地震で閉店。
階段でオフィスフロアに戻り、電気と回線が生きているので情報収集。鉄道全線停止だって。
業務中止令が出たが、鉄道が止まっているので帰宅は自己判断となった。家が気がかりだし、徒歩でもかろうじて歩いて帰れる距離だと判断し、17時頃に会社を出る。
道路網は無事のように見えたが、客降し中のタクシードライバーの方に聞いてみると「ダメダメ、混んでる」とのこと。実際、途中で少し乗ってみたが、徒歩のほうがぜんぜん早い。それでいて時間で金額が上がっていき、10キロと動かぬうちに三千円近くになった。
コンビニに寄ると長蛇の列。電池と携帯充電器は既に売り切れ。この先の全部のコンビニで同様。
20時ごろに食事休憩、21時過ぎに疲れて警察署内の椅子で休憩。丸子橋(多摩川)を渡る際には遠くの火事を見る。テレコムセンターが火事と聞いたのでそれだと思っていたが、市原の石油コンビナートが燃えているのだと後で知った。
23時前に家に到着。JR停止で家に帰れない友人を家に泊める。普段は自分が使っているロフトベッドに寝かせる。
家に残っていた2合に満たない米を炊飯器に全部セットして、自分はパソコンチェアで就寝。
○3/12
椅子で寝たので眠りが浅い……4時ごろ起床。二度寝。7時ごろ再起床。
友人も起きる。空いたベッドで少し休むつもりが、いつの間にか三度寝して10時過ぎ。
セットしたごはんは7時には炊けている遅くなってしまったが朝食。おかずは食べるラー油と岩海苔とシーチキンのみ。友人には『食生活がよくない』と刺された。
急いで返しても鉄道は大混雑だろうと思い、午後になってから家を出て、駅前で食事してから家に帰す。
帰宅し、体調が崩れたので残り一日休む。
○3/13
買い物に出るが、普段ならずらり商品が並んでいるはずのコーナーが、一ブロック棚が空っぽという凄惨な事態。食料品で日持ちがするもの、飲料、ティッシュペーパー、トイレットペーパーあたりが全滅。普段買っているものの殆どが買えずじまい。
家に帰って確認すると、米が尽きており、トイレットペーパーが予備あと1ロール。ティッシュペーパーはノーマル・モイストともに予備はある。パスタが未開封500g×2ある。
食糧はある程度なら何とかなるが、トイレットペーパーが無くなるまでに買えるだろうか。
計画停電の話を聞くが、職場が対象外であり、自宅の停電時間帯に家にいないので、個人的に影響は少ないと思っていた。
○3/14
体調を崩して会社を休む。その旨を会社に連絡すると、逆に会社から電話が来て『いま3人しか出てきてない』と言われた。
調べると、計画停電の影響で(実際には停電していないにもかかわらず)鉄道のダイヤが大混乱し、ほぼ交通マヒで多くの人が出社できない事態になったらしい。
自分の影響を調べる。通常経路が一部運休だが、代替経路を使って出社できると判明。
このあと、廣嶋の友人から『福島が万が一の場合には、うちかその辺りで受け入れます』という旨のありがたいメールを貰う。我が家にはテレビがなく(あるのだが機能していない)、休日は情報収集しないので、このメールで初めて福島の危機(原発事故)を知る。
つづく。
2011年03月22日
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